太田神社宮神輿
太田神社には二基の宮神輿があります。

一之宮は地元の神社役員や町会役員によって担がれるので、担ぎ棒は横向きに組まれますが、大拍子は括り付けずに江戸前神輿のような担ぎ方をします。元々は江戸前担ぎの神輿だったため、台輪に台棒を通す棒穴が存在しますが、昭和61年の大修営の折に台輪の棒穴は塞がれ、品川輦台式台輪に変更されました。化粧綱は白色で、神輿の胴の中央で強固に絞られます。昭和25年頃に本所の神輿店で購入(製作者不詳)された、台輪寸法一尺八寸の白木神輿です。銅葺き延軒屋根の勾欄造りで、彩色が施された胴と、三味線胴型台輪が特徴です。

太田神社宮神輿一之宮
太田神社宮神輿
一之宮
台輪寸法:一尺八寸
製作年:昭和25年頃
製作者:不詳

二之宮は太田神社の氏子青年団体である市野倉睦を中心に、城南地区各睦会によって担がれます。担ぎ棒は横に組まれ、神輿の胴の脇に大拍子が括り付けられ、大拍子と篠笛の拍子に合わせて、「ちょいちょい」という独特の「城南担ぎ」で渡御されます。品川輦台式台輪と神輿の胴の中央で強固に絞られた橙色の化粧綱により、激しい城南担ぎに耐える、頑丈な神輿です。昭和50年に横溝良作(地元大工)により製作された、台輪寸法二尺五寸の白木神輿です。一之宮を模して製作されたので、銅葺き延軒屋根の勾欄造りで、屋根に戴く大きな鳳凰が特徴です。
太田神社宮神輿二之宮
太田神社宮神輿
二之宮
台輪寸法:二尺五寸
製作年:昭和50年
製作者:横溝良作(地元大工)

昭和25年頃の太田神社例大祭では、一之宮を江戸前担ぎで氏子町を渡御していたといわれています。現在の江戸前担ぎとは少々異なり、担ぎ手は担ぎ棒に寄り添うようにして肩を入れ、宮神輿が大きく左右に動いた際には足で壁や電柱を蹴って、宮神輿の進路を保っていたと言われています。また、寄付を出さなかった「東急バス池上営業所」に宮神輿を投げ、建物を破壊したという逸話が伝えられています。

市野倉睦が結成された昭和47年当初は、当時神輿倉に眠っていた一之宮しかありませんでしたので、昭和48年度太田神社例大祭では、一之宮本来の「江戸前担ぎ」に、大井宮本会よりお借りした大拍子を括り付けての渡御でした。昭和49年度太田神社例大祭では、隣町の新井宿・春日神社で城南神輿が出御されていることに倣い、一之宮も城南神輿に仕立て、大拍子も濱川・宮本師匠から習っての渡御でした。その後、「市野倉の若い連中は、子供神輿みたいな小さい神輿を担いで楽しんでいる」と氏子の方に皮肉を言われ、刺激を受けた市野倉睦会員が氏子各位から寄付を集め、昭和50年に大きな宮神輿である二之宮を新調しました。

二之宮が新調されると、祭禮の主役はもちろん二之宮で、一之宮は再び神輿倉に眠ることになりました。その後、「神輿倉に保管するだけでは、寄進をしていただいた当時の氏子各位に申し訳がない。綺麗な姿に修復し、再び担ごう」とのことで昭和61年に大修営され、同年の例大祭から神社役員や町会役員によって担がれ、二之宮との連合渡御が実現し、現在に至っています。

宮神輿ではありませんが、太田神社氏子二ヶ町にも子供神輿があります。

市野倉北町会子供神輿 市野倉南町会子供神輿
市野倉北町会子供神輿 市野倉南町会子供神輿

太田神社例大祭宵宮では、二基の宮神輿と共に出御され、大小四基による連合渡御が行われます。土曜日午後と日曜日午前にはそれぞれの町内を山車と共に出御、大拍子演奏により渡御されます。