池上囃子
毎年5月15日直前の土・日に行なわれる太田神社例大祭では、太田神社階段下の櫓にて、また子供神輿渡御の際に曳き屋台にて、池上囃子が演奏されます。池上囃子の歴史は古く、明治初期まで遡ることができます。
櫓 太田神社神楽殿
太田神社階段下の櫓にて演奏されます 日曜日の宮入りでは神楽殿で迎え囃子が演奏されます
市野倉北町会トラック屋台 市野倉南町会曳き屋台
囃子屋台が宮神輿渡御を先導します

そもそも祭囃子は、享保年間に葛西金町村の香取大明神(現在の葛西神社)の神主である、能勢環により始められたと言われます。これが「葛西囃子」となり、後に神田・深川・本所・目黒・等々力等の各地に伝わったと言われます。城南地区で演奏される祭囃子は、目黒囃子や等々力囃子の流れを汲み、葛西や神田等、下町地区で演奏される「江戸囃子系」に対し、「目黒囃子系」や「相模流」と呼ばれます。

目黒囃子系の楽曲の構成は、「打込」「破矢」「宮昇殿」「鎌倉」「国堅め」「師調目」「上がり破矢」が基本で、「通り囃子」や「ひとっぱやし」と呼ばれます。「宮昇殿」から「破矢」に変わる「破矢宮」、「鎌倉」から「破矢」に変わる「破矢鎌」や、「因馬」「なげやり」等も演奏されます。

この他にも「魔物(奥の手)」と呼ばれる楽曲もあります。「通り囃子」の次に、「金沢昇殿」「両国」「亀戸」「活口」等の比較的簡単な魔物の稽古に進む囃子方が多いですが、更に「本昇殿」「大間昇殿」「皮違昇殿」「神田丸」「麒麟」「階殿」「金沢」「都津波」「東楽」等へと進む囃子方は多くはなく、手が揃わないと演奏されません。

市野倉に伝わる池上囃子は、目黒囃子の流れを汲むと言われます。穏やかでゆっくりとした奏法が特徴です。明治時代に市野倉の横溝吉五郎氏、堤方の荒忠蔵氏、徳持の指田豊吉氏らによって目黒囃子が習得され、現在に至るまで継承されています。昭和中期からは市野倉の高森武雄氏(俗称紺屋の武さん、紺屋の師匠)の指導の下、市野倉の鈴木光昭氏、堤方の吉田隆次氏、徳持の沢田時治氏、品川の榎本準一氏らが活躍し、翁三郎社中家元の翁三郎氏や大森の田中三之助氏・直助氏や久が原の中島弥助氏らも加わり、黄金期を築きました。

昭和後期には市野倉の子供達が池上囃子を習得し「若竹会」が結成され、後に結成される「市野倉睦」の基礎となりました。また同時期には翁三郎社中家元の翁三郎氏の指導の下、市野倉の宮島哲夫氏、堤方の高田功氏、吉田隆次氏、徳持の田中憲一氏、藤城秀男氏、長岡俊行氏、神谷幸治氏の七名が寿獅子や面舞踊を習得、「翁若連」が結成されました。

宮坂家・鈴木家結婚式
宮坂家・鈴木家結婚式での演奏(昭和50年10月22日)

現在では市野倉・堤方・徳持の3団体の他、北品川二丁目町会の「葵囃子」や不動前町会の「不動囃子瀧櫻会」にも継承されています。太田神社・品川神社・徳持神社・磐井神社・大鳥神社・旗岡八幡神社・大森神社の祭禮や本門寺初詣、地元祝賀行事などで演奏される他、大森・雪谷・羽田・大井の囃子連との交流も活発になり、城南地区の各神社の祭禮をはじめ、様々な行事で演奏する機会が多くなりました。
太田神社初詣 寿獅子
太田神社初詣での寿獅子
本門寺初詣 寿獅子
本門寺初詣での寿獅子
太田神社初詣 画像提供:市野倉南町会 近所のおっさん様
太田神社初詣での演奏 市野倉南町会新年会での演奏
画像提供:品川拍子ゆきわ會 たけやま様 品川神社例大祭
大森の囃子連との交流 品川神社例大祭での演奏
徳持神社大祭 磐井神社大祭
徳持神社大祭での演奏 磐井神社大祭での演奏
旗岡八幡神社例大祭 大森神社大祭
旗岡八幡神社例大祭での演奏 大森神社大祭での演奏
太田神社七五三 鷲神社酉の市
太田神社七五三での演奏 鷲神社酉の市での演奏