旧市野倉町小史
「市野倉」とは、現在の東京都大田区中央4丁目の一部・中央5丁目の一部・中央6丁目のほぼ全域・中央7丁目のほぼ全域・池上1丁目の一部からなる、太田神社氏子町の旧地名です。
旧市野倉町名変遷の歴史
明治初年 武蔵国荏原郡市ノ倉村
明治2年 品川県荏原郡市ノ倉村
明治11年11月 東京府荏原郡市ノ倉村
明治22年5月 東京府荏原郡池上村字市野倉
大正15年8月 東京府荏原郡池上町市野倉
昭和7年10月 東京府東京市大森区市野倉町
昭和18年7月 東京都大森区市野倉町
昭和22年3月 東京都大田区市野倉町
昭和40年11月 東京都大田区中央
東京都大田区池上

市野倉のほぼ中央を横断する「池上道」は、東海道の青物横丁から川崎平間に通じ、「平間街道」とも呼ばれます。東海道五十三次宿駅伝馬制度が制定される以前は、江戸と京を結ぶ重要な街道の一部としての役割を担っていて、同じ池上道沿線の新井宿・春日神社付近にある碑には、「古の東海道」と刻まれています。東海道五十三次宿駅伝馬制度が制定された後も、東海道沿線の鈴ヶ森刑場(現在の鈴ヶ森大經寺)前を通ることを嫌い、池上道に迂回する旅人が多く、沿線の市野倉は大変賑わったと伝えられています。このように、池上道は東海道の間道としての役割を担っていたことは、大石内蔵介が討ち入りのため江戸に入る際、池上道を通ったという史実が物語っています。

明治5年に鉄道が開通し、明治9年6月に大森駅が開設されると、大森駅と池上本門寺を結ぶ馬車が池上道を往復し、沿線の市野倉は更に賑やかになりました。特に、毎年10月11・12・13日に行なわれる池上本門寺の御会式万燈練供養は当時が最盛期で、池上道沿線は大勢の万燈行列と参拝者で賑わい、道から溢れた参拝者が大森駅近辺で列車に轢かれて大勢死亡する事件も発生した程です。市野倉近辺でも池上道の道幅の狭さのため、大勢怪我人が出たと伝えられています。

昭和10年頃、池上道から六郷用水暗渠道を挟んだ南寄りに、往時「改正道路」と呼ばれた「池上通り」が開通し、以来、池上道は「旧道」と呼ばれるようになりました。現在の池上通りは、都道として、都内で最も路線数が多いバス通りとして、万燈行列の通り道として、など様々な役割を担っています。

このように、市野倉は大変賑やかな町で、古来「市野村」と呼称されていたようですが、「新編武蔵国風土記」には、正保年間に既に「市ノ倉」という地名が存在したと記されています。また、遡って鎌倉時代にも「一之倉」の地名が存在したという説がありますが、いずれにしても、相当古い時代より当地に小群落が存在し、人々の生活が営まれていたと推測されます。

「いちのくら」という地名の由来は、大田区史によると、8世紀頃各地に「市の座」が設けられ、古代の新井宿駅に隣接する当地にも市が設けられた、という説があります。また品川区史によると、元久元年12月の大井実春譲状案に、大森郷の四方角について「西は一木に限る」と記され、この一木が当地ではないか、と推測されます。

「いちのくら」という地名が記された最古の公文書は「北条分限帳」で、一節に「一貫八百文六郷の内、一之倉、蒲田分、太田新六郎知行」と記されています。以後の公文書にも、「いちのくら」という地名ががはっきりと記されるようになりました。

江戸時代になると、市野倉は徳川幕府の直轄地となり、代官の支配下に置かれましたが、一部は増上寺の寺領となり、明治初期まで増上寺に年貢米を納めていました。

明治2年、廃藩置県で品川県が設置され、当地は「品川県荏原郡市ノ倉村」となりました。明治7年に品川県が東京府に併合され、明治11年11月の郡区町村編成法の施行により、東京府は東京市15区と6郡部に編成され、当地は「東京府荏原郡市ノ倉村」となりました。その後、明治22年5月に、市ノ倉村・桐ヶ谷村・堤方村・徳持村・池上村・下池上村・久ヶ原村・道々橋村・雪ヶ谷村・石川村の10ヶ村が合併し池上村となり、当地は「東京府荏原郡池上村字市野倉」となりました。「一之倉」から「市ノ倉」へと変遷してきた「いちのくら」という地名は、この頃から「市野倉」と記されるようになりました。ちなみにこの頃の市野倉の戸数は58戸、人口は252人だったと記録されています。大正15年8月、池上村に町制が施行され、当地は「東京府荏原郡池上町市野倉」となりました。

昭和7年10月、東京市は15区の他に近郊20区を追加編入し、当地に大森区が設置され、「東京府東京市大森区市野倉町」となりました。その後、昭和18年7月に東京都制が施行され、東京府は東京都となり、当地は「東京都大森区市野倉町」となりました。大東亜戦争後の昭和22年3月、大森区と蒲田区がが合併し大田区となり、当地は「東京都大田区市野倉町」となりました。

残念なことに、昭和40年代初期に各地で実施された住居表示により、「市野倉」という地名は消滅し、当地は「東京都大田区中央」並びに「東京都大田区池上」となりました。しかし現在でも太田神社氏子町会名(旧池上道を境に北側が「市野倉北町会」、南側が「市野倉南町会」)はもちろんのこと、「警視庁池上警察署市野倉交番」や「東京消防庁大森消防署市野倉出張所」など官公庁の名称に残っている他、マンション・アパート名や、店舗の屋号などに「市野倉」は生き続けています。