市野倉睦創立三十周年記念祝賀会
太田神社の行事に奉仕する氏子青年団体である「市野倉睦」が、昭和47年に創立以来三十周年を迎えたことを記念し、平成14年7月20日に大田文化の森にて「市野倉睦創立三十周年記念祝賀会」が開催されました。当日は神社・町会・地元企業・友好団体など各方面の大勢のご来賓で賑わいました。
市野倉睦歴代会長
市野倉睦歴代会長
初代・六代目会長 宮坂 東洋男
二代目会長 小久保 隆
三代目会長 宮嶋 義之
五代目会長 横溝 慎
八代目会長 石井 克則
十代目会長 須山 健二
十一代目会長 児玉 輝男
十二代目会長 鈴木 健夫
(写真左より)

「三十年と今後」 十二代目会長 鈴木 健夫
昭和47年、市野倉睦結成以来30年が経ちました。今日、この日が迎えられることができ、大変嬉しく思います。これもひとえに市野倉睦世話人をはじめ、太田神社、地域の方々、友好団体、そして会員のおかげです。こうして皆様の前で祝福されるまでに成長をしてきました。皆様に支えられた市野倉睦は幸せな会です。

30周年を迎えるにあたって、いろいろなことが思い出されます。楽しい事、嬉しい事、悔しい事、悲しい事、今でも鮮明に蘇ってきます。そんな事が積み重なり30年という歴史が刻まれたと思います。

この年に会長に就任して新たに会の偉大さを知り、とても光栄に思います。この先も『人と人とのふれあいを大切にし、会員がお互いに助け合える』その様な会を目指しています。諸先輩方々が数々の難関を乗り越え作り上げた会の歴史を背負い、胸をはって進んで行きます。また新しいアイデアも取り入れ、大紋のもとに一歩ずつ歩んでいきます。

今後とも、市野倉睦を何卒よろしくお願い申し上げます。

「睦創設の思い」 初代・六代目会長 宮坂 東洋男
市野倉睦が30周年を迎えた。感慨無量である。

顧みれば30有余年前、一心講に参加していた大森根岸神社の若者たちに誘われ、川崎・小田の祭りに神輿を担ぎに行ったことが発端で、その後、地元太田神社でも神輿を出したいという思いに至ったのが睦創設の所以である。

昭和47年秋に市野倉睦結成。48年の太田神社祭礼で、初めて神輿を出す。大井の宮本会から大拍子を借り、大森・不入斗連番を中心に祭礼を手伝ってもらったことが記憶に残っている。

以来、長い歳月をかけてこの記念すべき日を迎えるに至ったのは、城南(主に大田・品川)地区、神輿同好会の協力と共にわが市野倉の神社関係者、南北町会、睦世話人等々による多大な協力、賛助があったからこそと感謝している。

市野倉睦は太田神社の神輿を担いで30年。当初の会員である親からその子どもへと、世代を越えて会が継続していることをご考慮の上、今後共よろしくお願い申し上げる次第である。

市野倉睦世話人代表  横溝 實
市野倉睦世話人代表 横溝 實

二代目会長 小久保 隆
市ノ倉睦会がこのたび三十周年という事で、私は色々な事が思い出される。三十年前、私は卒業が決まった春、税務署前の信号を渡っていると宮坂さんが「お前の半天作ったから」と言った。私は何の事かわからず家に帰って親父に聞いたら今度太田神社の神輿をかつぐ会を作ったという事で私は最初いやいやで参加した。無事に市ノ倉の祭が終り、ほっとしたのも束の間、今度は他の神社へ神輿をかつぎに行くことになった。そんな事を繰り返しているうちにすっかり睦会の一員となった。とてもなつかしい思い出だ。今はなき坂本九が司会をした神宮絵画館前での日本の祭りもその一つだ。睦会の先輩達と飲む酒も最高のものとなった。又色々の事もおそわった。とても感謝している。今の会長鈴木君も私の五つ上の先輩のせがれだ。彼が生まれた時、お会式で彼の親父と大森の屋台のおでん屋で飲んでいた。月日がたつのは、ほんとうに早いものだ。

これからも睦会が末長く活躍する事をお願いする。それから今は亡き二人の先輩と神社の鈴木君が式に出られない事を残念に思います。

三代目会長 宮嶋 義之
睦会三十周年おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。

今、三十年を振り返りますと、当時とはまた違った意気込みを感じますと共に、結成時の色々な事や、お世話いただいた、たくさんの方々の顔が、走馬灯の様に思い出され、なつかしい気分になります。

私も年齢には逆らえず、昔の様に仲々参加する事が出来なく、申し訳ない次第ですが、これからも、「市野倉睦会」が増々地域と共に発展する様、皆様のご活躍を祈念致します。

四代目会長 鳴嶋 猛人
三十周年おめでとうございます。これからのご繁栄をお祈り致します。
「三十年前の自分」 五代目会長 横溝 慎
まず始めに、市野倉睦会が発足して、このたび三十周年の記念式典を迎えられまして、誠におめでとうございます。自分も発足当時のメンバーの一員であったこと、若竹会のメンバーとしてテレビニュースに出たことが、なつかしく思います。三十年前の中学一年の自分が、土曜日の学校帰り、初代宮坂会長や、鈴木光昭さんが、子ども神輿の手伝いをしている所に、宮坂会長から睦会の半天が作ってあることを知らされ、その夜のお祭りの手伝いを始めるのが第一歩でした。それから、自分のおやじが、二の宮を作ることになり、49年のお会式のころから、ベニヤに図面を書き、二尺五寸の台座はみんなの夢でした。翌年、神輿が完成した時、三日間の祭礼初日は、新しい神輿が重く感じた事と、巡行が長く長く思えたのが、ついこの間のことのように思えます。三十年もメンバーでいますと想い出もたくさんありますが、これからも太田神社の氏子として、子々孫々まで受け継いで行けるように、努力していきたいとと思います。乱文ですみません。
七代目会長 白石 千春
三十周年おめでとうございます。これからの会の発展をお祈り申し上げます。
八代目会長 石井 克則
30周年おめでとうございます。当時は今の面持ちとは違いそりゃー血気盛んで怖いものでした。諸先輩方はいつも看守の様に目を見張り、担ぎ棒に入れば「相手は敵。潰せ!」と洗脳。「笑顔忘れず」チョイチョイ三昧、よその會が「市野倉が来たぞ!」なんて言われて俺らは山賊か?なんて日々でした。境内で隠れて吸った煙草、体で覚えさせられた酒。今日ではカラオケなるものがありますが、当時はそんな物は無く、宴会と言えばもみ手入りの軍歌・一人一芸の持ち歌、ほろ酔い気分で体を張っての相撲・ながうま。社務所の壁は傷めるは、ガラスは割るは、総代さん「ごめんなさい!」。てなわけで・・本当に年齢に関係無くガキからオッチャンまで混ぜこぜで和気藹々と何年も続けられたこの町(會)の歴史は永遠に不滅であり、子供の頃から始めて、結婚して子供が出来て孫を授かったとしても、青葉が茂る季節には皆さん揃って「生涯現役」宣言しましょう。これからも宜しくお願い致します。
九代目会長 松原 義孝
睦会三十年、おめでとうございます。
十代目会長 須山 健二
三十周年おめでとうございます。

天天ホイスク天天天天天・・・・

甘い汁を吸わされて、はや三十年。小学二年でお囃子を始め、中学・高校時代は神輿に青春を捧げた日々。今思うと普通の大人の世界ではないこの睦の人々の中で育てられた自分としては、この上無い?貴重な人生を歩んで来たと思う。

これからも、飴と鞭を使い、自分のような犠牲者を一人でも多く育てて、増々成長し、増々賑やかに、睦会を続け、四十年、五十年、百年と、市野倉睦の歴史をみんなで、創って行ってほしいものです。

創立三十周年万歳!!

「七年間を終えて」 十一代目会長 児玉 輝男
昨年睦会の会長を終えて様々な人たちと出会えたことに感謝しています。

各町会や各友好団体地域の人たちそして会の中に潜んでいた色々な問題etc・・・まずもって、はじめたころの問題を挙げたら副会長と殴り合いの喧嘩はするし花見で正体は分らなくなってしまうし年末の総会はめちゃくちゃになってしまうはで先行き不安な材料ばかりのスタートでした。

睦会の会長なんてやるもんじゃないと、つくづく思い、とても二年なんて勤まらないなあと・・・ところが、折角十年間下働きしてきてどうせ会長としてやるのだったら納得いくまでやってみようと思い、気が付いたら小学校入学した娘も今や中学生に、息子は5年生にまして今にいたっては二歳の子供がおります。子供の成長とともに自分も何か一回り成長した気がします。

三十周年を期に会長を交代してもらい新会長のもと新しい睦会の活動に期待しております。

地域、町会、各友好団体の皆様、大変ありがとうございました。今後とも市野倉睦会は一生懸命やって行きますのでよろしくお願い申し上げます。

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